Metooの投稿がよく目に入ってきた今日。

 

 

言葉にして自分の外に出すことで

癒されることは多いし、

 

その言葉を読んで勇気づけられることもある。

 

 

ひとりで抱え込む必要なんてない。

 

 

私は20代の頃、失恋から立ち直れなくて、

自分でもうんざりするくらい

長い時間抱え混んでいたことがある。

 

でも、もういいかげん、

気持ちを切り替えて前に進みたい。

 

そう思った時に、

ネットの掲示板のようなところに

ありのままの言葉で存分に吐き出して、

 

それで本当にすっきりとできたことがあったから。

 

 

今日のMetooの投稿を読みながら、

自分の中でざわついていることに気付く。

 

そうそう。

それよりも前に。

 

今日の仕事帰りに立ち寄る予定が、

事故による電車の運休で行けなくなった時。

 

なんだかホッとしている自分がいて。

 

 

なんだろう。

なんだろう。

 

 

この二つのモヤモヤとした思いが渦巻く心。

 

 

家に帰ってきて、

コーヒーを飲みながら

Metooの記事に目を通していた時、

 

ふとわかったことがある。

 

 

あの時、

あの人からされていたことは、

「パワーハラスメント」だったんだ。

 

 

「できない自分」がいけないんだ。

 

「結果を出せない自分」が悪いんだ。

 

理由を上手く説明することができないけれど

「なんだか違う、と感じてしまう自分」がおかしいんだ。

 

 

そう、思っていた。

 

だから、

 

そのこと、

その人を思い出してしまいそうなことは、

全部自分から切り離して、

捨てて、

 

「なかったこと」にしよう。

 

と。

 

そうしようとしていた自分に、気付く。

 

 

でも、「なかったこと」になんてできない。

 

だって、「あったこと」だもの。

事実から目を逸らしたって、

消えてなくなるどころか、

 

蓋をすればするほど、

何だか苦しい気持ちになっていた。

 

 

その人は、

私よりも年下だったし、

 

そして、女性だった。

 

 

だから、

まさかあの出来事や、あの時間が、

 

「パワーハラスメント」

 

だなんて、

私は今日の瞬間まで考えたこともなかった。

 

 

別に、言葉は何でもいい。

 

たまたま今日はMetooを通して

私が引っ掛かった言葉がそれだっただけで。

 

 

それよりも大事だなと思ったのは、

 

そのパワハラを受けていた時期、

自分が感じていた、

 

あの恐怖や

あの悔しさや

あの悲しさに

 

蓋をせずに

 

悔しかったね

悲しかったねと

 

「あった」事実を

自分でちゃんと受け止めてあげること。

 

 

なかったことにしないこと。

 

あの時の自分を置き去りにしないこと。

 

自分を見てみぬふりしないこと。

 

 

そうやって自分を大切にすることを、

ないがしろにしないこと。

 

 

自分を大事にする自分を、

大切に扱ってあげること。

 

尊重してあげること。

 

 

その時はそうせざるを得なかった、

自分を許してあげること。

 

 

言葉に出していくことで癒されるのは、

その自分を許していくプロセスだから。

 

 

私はハッシュタグを付けて

投稿していくという方法よりも、

 

自分のこの場所で、

自分の言葉で綴ることがしっくりきて。

 

 

自分の感覚を信頼して、

自分が納得できる方法で動いていくこと。

 

 

結局のところ、

そこから幸せな和がスタートすると、

私は感じています。

2017年12月18日 |

カテゴリー:コラム

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